日本画2

 室町時代に、漢画系の狩野派がやまと絵との統合を押し進めて多元的空間を生み出したことを思い起こせば、明治時代に、西洋画と日本画を統合する形で新たな多元的空間を生み出せなかった責任を、もっぱら日本美術院に負わせるのは不当なのかもしれない。洋画でも、黒田清輝が貴族員議員になったりせず、あと二十年画業に専念できていたなら多元的空間を生み出す可能性はあったのかもしれない。しかし、現実に最も早く西洋画の衝撃を踏まえて、多元的でこそないが曖昧な空間※に辿り着けたのは、竹内栖鳳率いる京都画壇であった。栖鳳の作品は、どうしてもその画題の達者な写実に目がいってしまうが、作品そのものを成立させているのは円山四条派ゆずりの空間性である。であったからこそ、福田平八郎や徳岡神泉など絵面的には師匠の対極にあるような画家が育ち得たのだろう。(※褒め言葉としての曖昧な空間)
縦書きたい2

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