周回遅れのホームページ事情
そもそも私のホームページは、1998年Adobe Page Millというホームページ作成ソフトで作ろうとしたものの、センター合わせさえちゃんとできず、しょうがないので見よう見まねのHTMLで書いたのが最初でした。
当時はテーブルタグでレイアウトするのが全盛だったので、しばらく一心不乱にテーブルの入れ子に入れ子を重ねていましたが、気がついたらトレンドはCSSでレイアウトになっていました。
これではいかんとCSSの勉強を始めたけれども、遅々として進まず、おぼろげながら理解してきた頃には、世の中CMSでホームページである。
またもや周回遅れにされそうになっているので、あわててWordPressで作ったのがこのサイトなわけです。カスタマイズにはPHPの知識も必要らしいが、今のところ全くわかっていません。(2010年1月1日現在)
なお、安穏覚書きの縦書きは、「縦書きたい2」さんによって実現させてもらっています。ブログは縦書きが当たり前!という日が来ることを願っています。
メイリオ
現在、多くのWeb SiteがCSSでメイリオフォントを指定しています。当サイトをWindowsXP環境でご覧の方は、騙されたと思ってメイリオをインストールしてみて下さい。ブラウジング全般がずいぶん快適になるはずです。(Macではヒラギノ角ゴシックで表示されています)
日本画2
室町時代に、漢画系の狩野派がやまと絵との統合を押し進めて多元的空間を生み出したことを思い起こせば、明治時代に、西洋画と日本画を統合する形で新たな多元的空間を生み出せなかった責任を、もっぱら日本美術院に負わせるのは不当なのかもしれない。洋画でも、黒田清輝が貴族員議員になったりせず、あと二十年画業に専念できていたなら多元的空間を生み出す可能性はあったのかもしれない。しかし、現実に最も早く西洋画の衝撃を踏まえて、多元的でこそないが曖昧な空間※に辿り着けたのは、竹内栖鳳率いる京都画壇であった。栖鳳の作品は、どうしてもその画題の達者な写実に目がいってしまうが、作品そのものを成立させているのは円山四条派ゆずりの空間性である。であったからこそ、福田平八郎や徳岡神泉など絵面的には師匠の対極にあるような画家が育ち得たのだろう。(※褒め言葉としての曖昧な空間)
日本画
大学一年生の頃、それまでは現代の日本画を桃山時代の障屏画の末裔と看做して漫然と見ていた私に、「この両者は何かが決定的に違う」という疑念が湧いた。もちろん、画題や描法が昔とは全く異なっているのは見れば分かるが、そんなことではない、絵画にとってとても大事な何かが決定的に違っている。しかしそうだとしても、それではいったい何が違っているのか。そもそも日本画という言葉は、明治初期に油絵:洋画に対抗して作られた概念である。だとすれば、歴史的経緯から察して、問題の源泉は横山大観らの確立した朦朧体にあるのではないか、あるいはそれに由来する漢画系の描線の軽視にあるのではないか、と当時の私は考えた。今にして思えば、朦朧体も一つの描法であるからそれだけで収まる話でもなく、そこからが長い長い暗中模索の始まりだった。そういえばあの頃は、前田青邨も存命していた。







